今日の記事も備忘録です。
社会主義の論理 … 機械工業時代の生産様式は「社会的生産」
よって生産価値の所有権は「社会」にある。
然るに、資本主義の世においては資本家は余剰価値を掠奪している。
このことを否定できないならば、社会主義を否定することはできない。
進化論的社会主義は、進化論という科学によって根拠づけられる。
まず、「個体」概念の拡張について。
顕微鏡が開発されて、「個体」概念は拡張した。
ex. 単細胞分裂したアメーバは、1個1個が個体なのか、もともと1個だったのでまとめて個体なのか。
ex.群体を作るイカダモは、それぞれが個体か、まとまりが個体か。
ここに「個体」概念の多重性が生じる。アメーバは1個1個が個体であり、分裂前後まとめても個体である。
イカダモも、1個1個は個体であり、まとまっても個体である。
人間も、1人1人の個人は個体であり、集団でも個体と言える。
個人を意識したときの生存競争では利己的にふるまうし、集団を意識したときの生存競争では利他的にふるまう。
利己的、利他的は対立概念ではなく、意識するものの差によるもので、大我小我といったほうが適切である。と北はいう。
人間集団は、この大我小我を螺旋的に繰り返しながら(≠反復)進化してきた。
古代ギリシャは集団間の争いが激しかったので、集団の競争に勝つ為に人々は社会的に振舞った。アリストテレスは「人は政治的動物」といった。
平和が訪れると、個人間競争の意識が高まり、個人主義的集団になった。集団としての力は弱くなり、ゲルマン民族との競争に敗れて破滅した。
対外的圧力が高まると、集団・社会が意識される。キリスト教の国教化により、集団の力を高めた。
平和が訪れると、個人主義が台頭する。ルネサンス期には、人間個人の素晴らしさが語られた。
啓蒙主義が広まると、集団の弱体化が生じる。フランス革命において、人権概念が統治機構を倒した。
ホッブズの自然状態による闘争、ルソーの社会契約論も、個人主義の高まりから集団化を説明する理論である。
集団の力が弱くなると、外圧に負ける。
帝国主義の時代には、再び人々は社会性を意識するようになる。
これは単に集団 VS 個人を繰り返しているだけでなく、内容も進化している。
個人主義によるフランス革命では、封建領土を持つ領主から土地を取り戻すことができた。
明治維新においては土地を国有化した。
革命の度に、社会制度や道徳観念は少しずつ進化している。
進化論における生存競争を、鳥獣界における生存競争と混同してはいけない。
人間も進化し、神に近づき、「類神人」となる。
その過程においては、生存競争の様式も進化する。
類神人における進化論的社会主義の生存競争の論理は↓。
個人間の競争 ・・・ 自由恋愛による雌雄競争
集団間の競争 ・・・ 食物競争
資本に価値がなくなる社会主義世界において、生存競争を駆動するのは自由恋愛による雌雄競争(性淘汰)である。
フリーライダーは雌雄競争により淘汰される。
また、国内において個人を尊重するのと同じで、世界においては国家は尊重される。
そして、集団間の競争手段は、戦争や虐殺という手段ではなく、議会の討論で競争が行われる。
この理想状態が世界連邦である。
進化論的社会主義は、「理法」と「理想」により達成される。
科学的社会主義と空想的社会主義のアウフヘーベンの上にある(猪鼻の理解)。
それは革命という虐殺によって達成されるのではなく、社会変革の第一歩は旧世代=親世代の論理や制約に対抗した、自由恋愛により達成されるのである。
第4章を飛ばして第6章まで読んだ感じだと、こういった理解です。
また読み間違いや修正すべきヵ所などあれば、随時訂正していきます。
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