
「高校力学の1つの目標は、万有引力の法則を理解することである。」
授業中に僕がときどき使うフレーズです。
このフレーズを用いる最も単純な理由は、万有引力の法則が教科書の力学分野の一番最後に配置されているからです。
では、なぜ万有引力の法則が一番最後に配置されているのか?
力の関数がxの2乗分の1となり、高校力学で登場する式の中で最も複雑だからでしょうか?
いや、本当に、惑星の運動を理解すること、すなわち、宇宙を支配する法則(万有引力の法則)を見つけだすことが、物理学を形作る上での最終目標であったのです。
ニュートンが万有引力の法則を発見したこと、この瞬間こそが、天体の運動について、それまでのアリストテレス的な運動学による説明が終わり、プラトン的な原理・法則に基づく物理学による説明にとって代わられた瞬間だったのです。そして、そこから物理学が新たな学問として、ふたたび発展していきました。
では、なぜ、みんな天体の運動を理解したかったのか?
1つ目は、宗教的な理由です。
キリスト教の教会の多くは、日の出の方向に向かって建てられています。それは、日の出の太陽がキリストのシンボルだと信じられていたからです。
同じことが、新石器時代までさかのぼっても分かります。新石器時代の中部ポルトガルの共同墓地を調査した研究では、117個の墓地のほぼ全てが、80°~110°の方向、すなわち太陽の昇る東の方向を向いていました。
2つ目は、農業的な理由です。
エジプト人は、毎年起こるナイル川の氾濫によって生活が左右されていました。そのうち彼らは、ある特定の星(シリウス)が太陽に近づき、太陽の輝きの中に消えて見えなくなる時(ヘリアカルライジング)にちょうど洪水が起こることに気づきます。
また、天体の運動から1年を割り出すことで、季節の移ろいのパターンを捉えて、農業に役立てることを自然と行っていました。ここから、カレンダーが作られます。天体の運動を予測することは、生活を送る上でも、必要であったことなのです。
3つ目は、統治上の理由です。
古代バビロニアでは、王の地位、つまり国家を安泰に維持できるかどうかは、空に現れる予兆を正しく判断できるかどうかにかかっていました。バビロニアの宮廷高官たちは、天文現象と気象現象を系統的に記録することを700年間も続け、それらの記録から、太陽、月、惑星の運動が周期的であることが次第に分かってきました。そのときに用いられた60進法が、現在でも角度を度、分、秒で表すのに残っています。
これらの理由から、もしくは、惑星のように一部周期的な軌道から外れる現象それ自体が、知的興味を喚起させたこともあるでしょうが、多くの天文学者が惑星の運動を記録し、その法則を探ろうとしてきました。
アリストテレスの天球論では、惑星の運動を説明することができません。アポロニウスは離心円モデル(観測者である地球が、惑星の円運動の中心からずれているモデル)や、導円・周転円モデル(円軌道上で、円運動するモデル)を考えました。
プトレマイオス(トレミー)は、離心円モデルからエカント点(楕円の対となる焦点)を考えだし、のちの面積速度一定の法則のようなモデルを考えました。彼の著作『アルマゲスト』は、長らく天体の運動を観測するための教科書で、その予測値は、満足のいく精度で現実と一致しました。しかし、エカント点は、多くの天文学者・哲学者らにとっては満足のいくものではなかったようです。
特に強い反発心を覚えたのがコペルニクスで、彼は『天球の回転について』の序文で、
古代の天文学者は、いちばん肝心な点、つまり、宇宙全体の構造と惑星の真の調和について発見することができなかった。それはあたかも、別々の場所から手、足、頭、腕を持ってきて作った人のようだ。それぞれの部分はうまくはたらくが、一人の身体としては調和が全く取れていない、怪物のような存在である。
と述べて、当時のつぎはぎだらけの複雑な理論に対して嫌悪感をあらわにしています。
その後に登場するティコ・ブラーエは、さらに精密な測定を行い、コペルニクスのモデルに基づいた「プロシャ表」にも2日の誤差があることを指摘しました。ティコの後を継いだケプラーも、測定値と円軌道理論の誤差8分角を、それまでは十分な予測精度とされていたのに、無視のできない誤差だとして円軌道を棄却しました。ティコの測定精度が約1分(月の直径の約30分の1)であることを知っていたからです。
しかし、ティコ・ブラーエは最後まで天動説を信じていました。天動説を実測値に合わせるために、「天球」の考え方を捨て、単に「軌道」の概念を導入しました。ティコのモデルでは、どうしても太陽の天球と火星の天球がぶつかってしまうからです。この「天球」の否定は、マイケルソン・モーリーの実験結果による「エーテル」の否定と同じくらい大きなブレイクスルーだったのではないかと思います。
決着は、ケプラーの楕円モデルの方が、ティコの円軌道のモデルよりも、やはり誤差が少なかったことでつきました。ケプラーのモデルをもとにした「ルドルフ表」が、それまでの「プロシャ表」よりも30倍の精度でよかったのです。
さらにそれを理論的に後ろ盾する仕事は、ニュートン以降の科学者、物理学者たちにゆだねられます。
このように見てくると、理科や科学において、何を・どのように教えるか?という命題を考えたとき、惑星の運動は外せないコンテンツなのではないかという気がしてきます。
以上の知識は、大学受験を考える場合にはほとんど必要ありません。もしかすると、エラトステネスが南中高度の差から地球の大きさを概算した話や、レーマーが木星の衛星の観測から光速を概算した話など、天文的な話題を知っていることが少しだけ有利になることがあるかもしれません。しかし、あまり気にしなくてもよさそうです。
だから、授業に生かす、という意味では、これらの知識がどう作用してくるのか、僕にもまだよくわかりません。
しかし、
「高校力学の1つの目標は、万有引力の法則を理解することである。」
というフレーズの背景に上記のようなことがあることを知っていると、自信をもってこれを主張することができます。確かに、万有引力の法則を理解することは、高校力学のハイライトとしてよさそうです。
この「西洋天文学史」を読んだことで、以上のことが整理され、知識として深まりました。簡潔にまとまっており、勉強になる、とてもいい本だと思います。このあたりの科学史を知りたい人にとって、自信をもっておすすめできる本だと思います。
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