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空想より科学へ 第1章「空想的社会主義」

マルクスの社会主義理論をエンゲルスがごく簡潔に解説するパンフレット本です。

薄いのでかなり読みやすく、第1章が「空想的社会主義」、第2章が「弁証法的唯物論」、第3章が「資本主義の発展(科学的社会主義)」の内容になっています。

3回に分けて、読書メモを書いていきたいと思います。本日が1回目です。

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近代社会主義の構図:有産者(資本家)VS 無産者(労働者)

近代社会主義の背景:生産における無政府状態

近代社会主義までの流れ:ヘーゲル → フランス啓蒙主義(”理性”による国家、宗教、科学などへの断罪) → ブルジョア民主主義

啓蒙主義が描いた理想は、結局、ブルジョアによるブルジョアのための社会制度、法律、民主主義としてしか実現しなかった。

貴族 VS 人民の構造ならブルジョアは人民の代表になれたが、結局工業化が進むと、ブルジョア VS プロレタリアートの構造が問題として呈出した。

プロレタリアートの貧困と窮乏が、資本主義の存立要件だったのである。

そこで、理性で物事を直観する思想家らは社会主義を描き出した。

3人の傑出した人物として、サン・シモン、フーリエ、オーウェンが挙げられる。

彼らは空想的社会主義者と括られる。

科学的社会主義者と区別する意味で、彼ら3人に共通していたのは、三者ともプロレタリアートを代表したのではなく、全人類を一気に解放しようとしたことだった。

これは当時の社会状況的に仕方なかった。

まだ工場制手工業から機械を用いた大工場へ移り変わる途中段階で、ブルジョアとプロレタリアートの対立が進行していく途中だった。

そのため、彼らは想像で未来の問題を指摘し、想像で解決策を語った。空想的と言われる所以だ。

① サン・シモン(1802年 ジュネーヴ書簡)

彼は、「有閑者」(貴族+不動産オーナー)VS「働く人」(ブルジョア+無産者)の対立構造を描いた。

フランス革命後の恐怖時代の支配者は、「無産者」だと喝破した。

このセグメントを抽出したのは、サン・シモンの鋭い観察力を示している。

しかし無産者にも、もちろん有閑者にも政権運営能力はなかった。

サン・シモンによれば、政権運営の論理は科学と産業であり、その結合において「新キリスト教」として宗教思想の結合が図られる。

産業の代表はブルジョアで、科学の代表は高等教育を受けた人々であった。

ここに科学を重視する姿勢は見えるが、その意味は学問、高等教育、程度であった。

サン・シモンは、

「人はみな働かなければならない」

と言って有閑者を批判した。これは後の無政府主義の萌芽でもあった。

② フーリエ(1808年 処女作)

彼は批評家であり風刺家だった。ブルジョアの立派な発言と、彼らの実際の行動のギャップを皮肉った文章はとても面白かった。

社会の発達段階として、未開 → 野蛮 → 家父長制 → 文明、という構図を提案した。

そして文明化した人間社会でも、興隆の後は衰退が生じ、波があることを説いた。

「文明社会において貧困は豊富から生まれる」

フーリエはすでに弁証法的思考をしていた。

③ オーウェン(1800年 ニュー・ラナーク経営)

彼は工場の経営者だった。

常に労働者に寄り添い、他の搾取的労働工場とは一線を画す運営を行った。

半世紀前の60万人の労働と、今の2500人の労働が同じ生産量だった。

彼はすでに、余剰価値の問題について気付いていた。

効率化の分は、資本家の搾取や設備投資に回った。

出来上がった新しい工場は、全て労働者の生産によるものだと考えたオーウェンがたどり着いたのは、共産主義だった。

彼の前に立ちふさがった障害は3つあった。

私有財産、宗教、婚姻制度、だった。

結局、彼は社会主義者として社会活動を始めたとたん、社会によって滅ぼされた。

以上が、第1章「空想的社会主義」の読書メモである。

太字の部分は、次章以降に繋がるキーワードである。

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