ゲッセン(秋間、稲葉、小林、渋谷訳)『ニュートン力学の形成 『プリンキピア』の社会的経済的根源』法政大学出版局(1986年)を読みました。

非常に面白く、もっと早く読んでおけばよかったと思っています。古い本ですが、今読んでも勉強になることが多いと思いました。
第1章では、マルクス主義的考え方(経済活動という下部構造によって、社会・政治・科学活動という上部構造が規定される)が簡単にまとめられています。
第2章では、ニュートンの時代の経済活動が、中世末期の都市化・商業化を経て、資本主義化していく時代だという観点からまとめられています。中でも、交通手段として船(静水力学、抵抗力、天体観測の理論など)が重要だったこと、産業(貨幣や物資としての金、銀、銅、鉄の需要増)として鉱山業、冶金業などが重要だったこと、戦争や軍需産業として弾道学などが重要だったことが述べられます。
第3章では、ニュートンの時代の物理学上の課題がまさに第2章の内容に対応したものであり、『プリンキピア』は抽象的に書かれているため直接的な実際的問題との対応は明記されていないものの、ニュートンの問題意識には上記の産業的関心との繋がりがあったことが、手紙を用いるなどして分析されています。
第4章では、ニュートンの科学活動が経済活動のみに規定されているのではなく、政治的状況、宗教的信念などとも関係していることが述べられます。エンゲルスの図式を引用しているのかもしれませんが、17世紀のイギリス革命において、封建貴族、ブルジョアジー、平民という階級を想定し、ニュートンはブルジョアジーを代表する立場だったことが指摘されます。そのため、ニュートンの世界観は、唯物論だけで構成されたのではなく、神学的要素と混ざっていたと論じられます。
第5章では、ニュートンが、世界発展の記述やエネルギー保存則等に基づく運動変化描像(エネルギーの変化)について言及しなかったことを、商業資本主義から産業資本主義(機械制大工業)への移行の時期の問題として論じ、エンゲルスの理論がそれを乗り越えていることが述べられます。
第6章では、1930年頃(大恐慌直前期)に議論されていた、機械を壊して小手工業時代に帰れ、という風潮を批判し、問題なのは機械ではなく、資本家が搾取するという構造であることを指摘します。
内容としては、第1~4章と第5~6章でやや分かれており、前半は社会経済体制などからニュートンの業績を理解することが試みられ、後半はマルクス主義的史的唯物史観+弁証法がいかに有用か、その結果、現在に対してどのような知見が得られるか、という内容になっています。
もともと、1931年にロンドンで行われた第2回国際科学史技術史会議での講演原稿が下敷きとなっているので、文量自体は、多くなく、比較的読みやすいと思います。
ただし、日本語版の本では、約半分の量が訳注に当てられています。その多さには、びっくりしました。訳に当たっては、それまでに出回っていた英語版、ドイツ語版に加えて、新たに手に入ったロシア語版を底本として、訳し直した経緯があるとのことです。特にこのロシア語版は、おそらく講演後に改めて手を加えた原稿のようで、どの部分がどのバージョンとどの程度変わっているかということが、詳しく訳注に記してあります。これは、訳者らによる新たな研究成果と言ってよいものになっていると思います。
加えて、英語版に付された序文(ニーダム)、序論(ワースキー)と、訳者の解説も載っています。
ニーダムの序文では、ゲッセンの手法の有効性として、イデオロギー的上部構造だけでは説明できないことを経済体制から説明できていると評価されています。ニーダムによれば、西洋的・キリスト教的観念体系よりも、道教や新儒教の方が「ずっとよく近代科学と合致したろう」とのことです。しかし、実際には近代科学は西洋で発展しました。この説明として、ゲッセンのものは有効であるとニーダムが考えていることは印象的です。
また、訳者解説は単に内容要約ではなく、批判性をもった内容なので、ここを読むことも勉強になります。例えば、ゲッセンはニュートンの時期について述べている風ですが、実際はもう少し広く、16世紀から18世紀中期までの、封建制の崩壊、商業資本とマニュファクチュアの誕生・発展の時期であることが適切に注意されています。
他にも、ゲッセンの仕事は、今では「外的(external)」な仕事として理解されていますが、そうではないことが、特に第4章から分かります。武谷三男は、ゲッセンの仕事を「技術直接要求説」であるとして批判しましたが、ゲッセンのニュートン理解はそれに留まるものではなかったこと(世界の発展史のなかにニュートンを位置付けようとした試みであること)が指摘されています。
『リヴァイアサンと空気ポンプ』が、このような研究業績の上に書かれたものであることを踏まえると、またそちらも違った読み方ができそうだと思いました。ゲッセンは、物理学の抽象的な理論を経済体制・政治状況などから説明しましたが、対して『リヴァイアサンと空気ポンプ』は、実験哲学という科学の方法に関する規範を、内的+外的、下部構造+上部構造から説明したものと考えることができそうです。
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